食育

 農業栽培技術の進歩と飽食によって、青果物で季節を感じることが少なくなってしまいました。青果物に限って言えば「季節外れ」という言葉が使えなくなりつつあるのかもしれません。

 近年、日本に限らず農業技術はすごい勢いで発展し続けています。世界人口の増加に合わせて発展させなければいけないのですが、一番重要だと思う食の貧富は未だ解消されずにおり、偏った発展を遂げているのが現状だと思うと、なにか違うという思いがしてなりません。

 日本に限って言えば、経済行為に伴う農業技術の発展で、食べたい時に食べたい物が食べられるという幸せを手に入れた反面、せっかく四季がある日本なのに、その季節にしか食べられないという楽しみを失いつつあります。なんだかとても残念な気もします。
 そして、いつでも手に入ることが当たり前になって、食が疎かにされて食べたいものだけを食べるし、残したら捨ててしまうのが平気になってきてしまっていますよね。
 こうした食環境の中で、まだ与えられる側に置かれている子供たちが、食の感覚を無くしつつあります。これは与える側の責任だということを、与える側がきちんと食の大切さを認識できていない結果なのだろうと思います。
 たとえ、売られている青果物に四季がなくなったとしても、どの季節にも全ての青果物が入手可能であったとしても、与える側がなにをどう与えるかで季節を表現することは十分可能だし、食べさせ方で食べることの大切さを教えていくことも可能だと思います。
 農業技術が発展していることで食の環境も変化しています。昔と同じ食生活に戻る必要は全くないと思うのですが、現在の食環境の中であまりにもバランス悪く生きている私たちは、まさに「豚に真珠」だと思えてなりません。
 食べるということは、何かの命を奪って食べているのだから、食べきれないものを残しても、平気で捨ててしまうのはとても忍びないことです。食べられるために、死んでいった者に失礼だと思います。
 人間に限らず、生きる物全てが食べなければ生きていけない。たくさんの食べ物に囲まれた中で、何をどう食べていくのかということを、大人も学びなおさなければいけない時代だということを、意識するべきなのでしょう。